ハッスルハッスルについての考察

あぁなんて恥ずかしいんだハッスルポーズ

 

今、ハッスルハッスルという言葉が流行語大賞にノミネートされるなど、かなり流行している。やってる小川直也もひっぱりだこの様子。

しかしこの言葉と裏腹に、それをやっている人を見ると、そこはかとなく哀愁が漂い、見ていて痛い。こっちが恥ずかしくなる。それはなぜか?ということを考えてみた。

@小川以外の人がやるとなんか違う。

はやり始めてからいろんな人がこれをやってるが、みんな腰を使いすぎだと思う。小川は体が大きいので、ゆっくりしたモーションでやっており、腰は動かしてるかどうかわからないくらいのレベル。上戸彩とか腰使いすぎじゃないか?

A小川がなんかつらそう。

どういうわけか、小川が一番自信なさそうにやっている。おそらく、テレビ映りを気にしてモニターを見ているため、目線が下にあるからだと思う。笑えばいいのか、力めばいいのか、どこかあいまいな表情になってしまっているのも良くない(テレがある?)。猪木のような突き抜け感が必要だ。

B掛け声がいい加減。

テレビ出演のときに限る話だが、みんなであわせるための掛け声にリズム感がない。Aと重複するが、猪木の1、2、3、ダーのようにすればいいのに、「すりーつーわん」となぜか棒読み。1拍おいて「ハッスルハッスル」ではすりーつーわんの意味がない。これもテレなのだろうか?

 

まねされるような存在になるまでは、ブームも一過性のものになってしまうだろうから、猪木における春一番のような存在が必要か?その前にもっとわかりやすい、独自性のある特徴を前面に出すことも重要だろう。

 

・・・以上のようにわけのわからないことをだらだらと書いてしまったが、実はちょっと前に遊びで作った↓の絵をただ公開したかっただけでした。

トップページへ

ここはキーウィのウェブサイトです